見えない真実 ~薬事法違反に問われた経営者の180日

再 建

 営業部長である鈴木と振り分けての得意先まわりが一段落したのは強制捜査から十日ほどのちだった。失った取引先もあったが、これからも変わらぬつきあいを申し出てくれたところもあり、苦悩の日々を送りながらもひとの世の情けに吉田はふれた気がした。そのなかでも設立当初からハピネスに商品を供給してくれていたメーカーの三島化学は、吉田の誠実さと堅実さを信じて今後も継続しての商品供給を約束してくれた。しかし彼の気を重くしたのは、自宅待機にしていた従業員の何人かが辞めたことだった。本人の意思であるのかどうかはさだかではないが、事実として警察沙汰になったことでまわりへの体裁や先行きの不安がそうした結果につながったのだろうと理解するしかなかった。理解はしても、これまでともに働いてきた仲間を失うことは、想像以上につらいものであることを彼は思い知った。
「残った面子でがんばりましょう」と声をかけてくれた鈴木が頼もしく思え、彼が入社した7年前のことを吉田は思い出した。
  大学を卒業したあと就職もせず、南米各国を放浪したという鈴木はブラジルにあったアガリクス茸農園でアルバイトした経験があったという。そこで生産された大量のアガリクス茸が日本に出荷されていることを見てきた彼は、帰国したら「繁盛しているようだから、健康食品会社に就職でもしようか」と思ったと面接のときに語ったものだ。
  鈴木の期待に反して吉田のところではアガリクス茸を扱ってしなかったし、ようやく軌道に乗ったばかりの事業はとても繁盛しているとはいいがたいものだった。それでも鈴木のバイタリティを認めて採用したのだったが、あれから7年が過ぎ、営業部長の肩書きに相応しい働きをしてくれるようになっていた。
  このたびの一連の出来事においても、吉田は鈴木によって支えられているところが大きいと認めざるを得なかった。
  金曜の夕方、鈴木が戻ってくるのを待って吉田はふたりだけの営業会議を召集した。
「来週から再開しよう」開口一番の吉田の言葉に鈴木がはっきりとうなずいた。
「いよいよですか」
「ああ。まだ状況がわからないし、気持ちの整理がついていないが、このまま立ち止まっていてもなんにもならない」
「そうですね。それにお客さんが待ってくれていますからね」
  吉田は苦笑した。この何日間かは得意先まわりで頭を下げ、顧客からのクレームの電話に平身低頭で応対していては受話器を置くたび毒づいていた彼の態度のギャップがおかしかった。
「でも商品はどうしましょうか? メインの〈ハピネス〉は売ってはダメといわれてますし……」
「さっき三島化学の川瀬さんと話をしたんだが、以前お願いしていた〈ハピネス〉シリーズのリニューアル商品を大急ぎであげてくれるそうなんだ」
「それは助かりますね」
「だからお客さんから問い合わせがあったら、商品をリニューアルしているということでアピールしていくことにしよう」
「わかりました」
  そのためにしなければならないこと、新商品のパンフレットやチラシの原案づくり、それに制作会社に対する発注依頼の段取りなどを打ち合わせした。悶々とした思いが消えることはなかったが、再スタートを切るのだという思いが吉田の気持ちを少しばかり軽くした。
「どうだ、しばらくぶりで飲みに行くか」
「前祝いですかね」
「いや、厄落としさ」
  今夜は飲み過ぎるかもしれないと予感しながら、吉田は鈴木を従えて夜の町へと繰り出した。

 再スタートの道は決して平坦なものではなかった。新しい商品の発注からパンフレットやチラシ類の制作、顧客への案内通知の作成や発送などやることは山ほどあった。しかも顧客名簿などの重要な資料は警察に押収されているため、すべての顧客に通知を送ることができず、問い合わせや継続注文のあった顧客をリストにまとめては応急処置的な対応で凌いでいかなければならなかった。しかし、強制捜査のあの日以来、失われていた活気が事務所に戻ってきたことはたしかだった。辞めた従業員がいるにはいたが、多忙で不自由さはあったとしても、日常を取り戻せたことに対する安堵のような気持ちが残ったメンバーの表情から読み取ることができた。
「その後」が気になるものの、経営者である自分にとってやるべきことはただひとつ、と吉田は努めて前を向こうとしていた。
  そんな吉田を応援してくれる心強い味方となったのがメーカーである三島化学の川瀬や印刷会社社長の内藤だった。試作品がすでにあったとはいえ、川瀬はハピネスの再開に合わせて大至急で製品供給体制を整えてくれた。内藤は内藤で、通常なら発注から納品まで10日ほどはかかるパンフレット類の印刷を1週間足らずであげてくれるなど、ハピネス再建に向けて惜しみない協力を送ってくれた。
「社長の人徳ですよ」と鈴木は笑いながらいったものだが、吉田は苦笑しながら首を振るしかなかった。真面目にやってきたつもりなのに、なぜ……? 思いはどうしてもそこに帰結してしまい、堂々回りにしかならない。川瀬や内藤に対する純粋な感謝を胸に秘めながらも、それに報いるにはこれから先のおこないにかかっていると吉田は思った。
  その日は強制捜査からちょうど三週間目だった。三島化学から届いた朝いちばんの宅配便を前にして吉田は従業員を集めた。
「みんな、聞いてくれ」静かな口調で彼は思いを口にした。「誓っていう。おれたちは、これまで真面目に商売してきた。なにもやましいことはないし、後ろ指を指されることもしていない。しかし、強制捜査を受けたことは事実だ。どういう経緯でそうなったのか、わからない。あるいはおれたちになんらかの不手際があったのかもしれない。けれどもそれすら定かではないのがいまの状況だ」
  従業員の顔を見回しながら吉田は続けた。
「健康食品を取り扱うというのは、そういうことなのかもしれない。でもおれは健康食品が好きだ。うちの商品を食べて、喜んでくれるお客さんがいるかぎり、この商売を続けていきたい」
  法の遵守を意識し行動していたとしても、法を守っているかどうかを判断しくれるところはどこにもない。すべて自己責任において完結しなければならないのが現実なのだ。たとえいわれのない誹謗中傷を受けようとも、甘んじてそれを受け入れ、行動によって自身の正しさを示していかなければならない。
「もう一度いう。おれたちは、これまで真面目に商売に取り組んできた。この姿勢はこれからも変わらない」
  その場にいる従業員全員がこくりとうなずいた。それを確認してから吉田は鈴木に目配せした。吉田の前に置いてある宅配便の梱包を鈴木がほどいた。緩衝材を取り除くと、サーモンピンクとオレンジ色のケースに〈ハピネス αヌーボー〉の商品名が踊っていた。それを手に取り、吉田は宣言した。
「きょうから再スタートだ」
  期せずして歓声があがり、従業員全員が拍手した。最盛期にはほど遠い数ではあったが、その日まちがいなく、ハピネスの再スタートとなる商品が全国へと飛び立った。